2026/8/24
【望月大輔 山梨県県議会議員を偲んで】
本日、8月24日、逝去されました。享年44歳
仲間であり、後輩であり、友人であり、弟分であり、そして戦友でもあった君。
君との出会いは不思議な縁を感じました。
君のご両親とは私が甲府で政治の門を叩いた、皆川巌山梨県議会議員(当時)の後援会で出会いました。
私が松山へ帰って6年後、その息子さんの君が松山で、塩崎先生の門を叩いたのです。
すでに秘書をしていた私は、「甲府でどなたかの秘書を務めた方が将来に向けて近道ではないか。」と最初に提案しましたね。
それでもじっくり考えた結果、「塩崎恭久先生がいいんです」と松山へ来ました。
私は学生時代、そして大学を卒業してからも、甲府で本当に多くの皆さんとの素晴らしい出会いに恵まれ、温かく接してくれ、育てていただきました。
今度は逆に望月君をしっかり育てると言ったらおこがましいかもしれません。一緒に色々なことを学んで、一人前になった君を甲府に送り返すことが、私を育ててくれた甲府の皆さんへの恩返しになる。そんな思いで君と向き合っていました。
君が松山へ来たころ、塩崎先生は官房長官を務めておられ、松山にはほとんどいませんでした。
その間に2人で車に乗って、地域を回り、挨拶回りをし、広報版を増やしながら、松山の街を覚えていきましたね。
一緒に回る中で、いろいろなことを話しましたね。
地域の回り方。
ブレーキの踏み方。
挨拶の練習。「『えー』が多い」と良く言いましたね。
昼食の時には お茶碗の持ち方 ご飯とおかずをどちらかから一気に食べる君に
「交互に食べろよ」 というと
「わかってますよ〜」 と笑いながら返してくる。
逆に私が仕事上で「もうこの辺でいいやろ」というと
君は必ず「まだダメですよ。ちゃんとやりましょうよ〜」
とサボらせてくれませんでした。
厳しい仕事でしたが、今振り返れば、楽しい、かけがえのない時間でした。
その後、親分が官房長官を退かれ、2009年の政権交代となった大逆風の選挙に向けて一緒に戦いましたね。
1件1件回り、「自民党はもういかんで」と言われながらそれでも歩いた日々は、今となれば私たち2人に、政治家としての基本を教えていただいた日々だったのでしょうね。
そして私が2011年愛媛県議会議員になり、君は甲府へ帰って2015年、甲府市議会議員へ初当選しました。初陣の出陣式には仲間と一緒に駆けつけたことが昨日のことのようです。
お互い議員として歩み始めて、遠く離れてはいましたが、よく勉強してるなあ、街頭やってるなぁとみていました。
同時に「自分も負けてはいられない」といつも励まされていました。
たまに東京で一緒になる機会があると、話題は決まって秘書時代の思い出話し。
ああだったこうだったと盛り上がって笑い合う時間が何よりも楽しかったです。
倒れる前日も電話で話し、当日もLINEでやり取りをして、その夜に突然の意識不明の連絡。
本当に驚き、信じられないと同時に、「なんで望月が!」と心から悔しかったです。
しんどくて大変だったけど、一緒に乗り越えた秘書時代があるからこそ、今があるとお互いに思えるかけがえのない仲間。それが君でした。 戦友でした。
望月大輔君、本当にありがとう。
寂しくて仕方ないけど、どうか天国から奥さんと子どもさん、ご家族を見守ってあげてください。
そして安らかに眠ってください。
君との出会いに心からの感謝の気持ちを込めて。

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