
3歳から約50年、横浜で暮らし、育ち、学んできた原沢あつみ(原澤敦美)氏。航空整備士から弁護士へと転身し、企業経営や公共調達に携わる一方、予備自衛官として災害現場も経験してきました。
その歩みの原点にあるのは、航空整備の現場で学んだ「チームで仕事をする」という姿勢です。
多様な現場で培った経験を、横浜市政にどう生かすのか。市政への挑戦を決意した理由と、横浜の未来への思いを聞きました。

選挙ドットコム編集部(以下、編集部):原沢さんの社会人としてのスタートは、航空整備士だったそうですね。
原沢あつみ氏(以下、原沢氏):大学2年生のときに宮古島トライアスロンへ出場することになり、そのとき初めて飛行機に乗ったんです。離陸する瞬間の感動を、今でも昨日のことのように思い出せます。それですっかり飛行機の魅力に取りつかれてしまって。
たまたまトライアスロンのコーチが整備士で、「理工学部なら航空整備士になれるよ」と教えてもらってから、航空整備士になることしか考えていませんでした。
就職活動も、日本航空と全日空の整備職しか受けていません。
編集部:当時は、まだ女性の航空整備士が珍しい時代ですよね。
原沢氏:そうですね。私が羽田の整備地区に配属された当時、他社も含めて3000人程度の整備士がいたと思いますが、女性の整備士は私一人でした。
それでも、飛行機が好きだという気持ちを胸に、汗とオイルにまみれる整備の現場に飛び込みました。エンジンや動翼、足回りなどを扱う、かなり体力の必要な重整備の部門でした。でも、私は本当に飛行機が好きでしたから、仕事は楽しかったです。その後、女性として日本で二人目となる一等航空整備士の資格も取得しました。
編集部:その経験から学んだことは何でしょうか。
原沢氏:何よりも、「チームで仕事をする」ということの大切さです。
航空機の整備は、一人ではできません。一人ひとりが自分の仕事に責任を持つ。そして、共に働く仲間を信じ、互いを尊重する。それぞれが自分の役割を果たして初めて、一機の飛行機を安全に空へ送り出すことができます。
航空機の安全には、「たぶん大丈夫だろう」はありません。だからこそ、自分の仕事には責任を持つ。同時に、一緒に働く仲間の仕事も信頼する。
人の命と空の安全を守る。それが、私の社会人としての原点になりました。

編集部:12年間勤めた航空会社を辞めて、今度は弁護士を目指します。かなり大きな決断だったのではないでしょうか。
原沢氏:大きかったですね。JALには総合職で入社していましたので、ずっと現場の整備士を続けるわけにはいかず、途中から技術部門へ異動しました。機体にトラブルが起きた際の原因分析や、航空機メーカーとのやり取りなどを担当する重要な仕事でしたが、私はやはり現場が好きだったんですね。
ちょうどその頃、法律というものを身近に考える出来事もあって、そこで、一から法律を学んでみたいと思うようになりました。
編集部:そこから会社を辞めて早稲田大学ロースクールへ行かれたんですね。
原沢氏:はい。一度、不合格も経験しました。
決して一直線にうまくいったわけではありません。でも、40歳を前にして、「これから何をして生きていくのか」と考えたときに、新しいことに挑戦するなら今しかないと思いました。
無事に司法試験に合格し、41歳で弁護士になることができました。司法修習も横浜だったんですよ。
編集部:弁護士としてはどんなお仕事をされてきましたか?
原沢氏:一般民事や家事事件のほか、企業法務、知的財産などを中心に仕事をしてきました。近年はコンプライアンスやガバナンスの知識と経験を生かして、複数の企業で社外取締役も務めています。
社外取締役は、単に外から会社をチェックするだけの仕事ではありません。取締役会の一員として、企業がどのように投資をし、事業を成長させるのか。生み出した利益を社員や株主にどう還元するのか。そうした企業経営の判断にも関わってきました。
私は理系出身なので、企業法務や知的財産の仕事とは非常に相性が良かったと思います。複雑な技術や事実関係を一つずつ整理して、どこに問題があるのかを考える。航空機の故障原因を探していた頃と、弁護士として争点を整理しているときでは、実は頭の使い方がかなり似ているんです。
編集部:原沢さんのもう一つの特徴的な経歴が、入札制度や公共調達の分野です。
原沢氏:東京都の入札監視委員を8年間務めたほか、首都高速道路の入札監視委員、2025年世界陸上の契約・調達委員などを務めてきました。
行政が事業を行うためには、さまざまな場面で民間企業との契約が必要になります。
限られた税金を、どのように適正かつ効果的に使うのか。民間企業の力をどう生かして、より質の高いサービスを市民に届けるのか。そして、その入札や契約に不正やリスクがないか。
そうしたことを、制度をつくる側と、チェックする側の両方から見てきました。
行政だけですべてを行うこともできませんし、民間企業に任せればそれでいいというものでもありません。行政と民間がそれぞれの役割を果たし、適切な関係をつくる。その仕組みをどうつくるかということに、長く携わってきました。

編集部:2018年からは、予備自衛官としても活動されています。
原沢氏:予備自衛官として、2019年の台風災害の際には実際に災害招集を受け、被災地での活動にも携わりました。災害が起きると、国や自治体、自衛隊、警察、消防など、多くの組織が同時に動きます。それぞれ組織も違えば、持っている役割や権限、専門性も違います。
でも、目的は一つです。被災された方々を守り、一日も早く日常を取り戻していただくことです。そのためには、誰か一人や一つの組織だけが頑張ればいいのではなく、それぞれが自分の役割を果たしながら、互いに連携しなければなりません。
実際の災害現場を経験したことで、「組織が力を発揮するとはどういうことなのか」を改めて考える機会になりました。
編集部:様々な仕事を経験されていますが、異なる仕事の経験はご自身の中でつながっているのでしょうか。
原沢氏:そう思います。
航空整備士としては「安全」を。
弁護士としては「公正」を。
企業経営や公共調達の仕事では「信頼される仕組み」を。
そして予備自衛官としては「人を守るための連携」を。
それぞれ違う仕事ですが、そこで学んできたことは、今の自分の中でつながっています。そして今、それらの経験を、ふるさと横浜のために生かしたいと思うようになりました。
編集部:現在の横浜市政について、前市長が職員へのパワーハラスメント問題の責任を取って辞職されました。どのような課題を感じていますか。
原沢氏:今、まず考えなければならないのは、市役所という組織が本来の力を発揮できる状態を取り戻すことだと思っています。
横浜市役所には約4万6000人の職員がいます。一人の力だけで、これほど大きな行政組織を動かすことはできません。
職員一人ひとりが安心して仕事をし、自分の役割に誇りを持ち、必要なことを自由に言える環境が必要です。それぞれが持っている知識や経験、能力を十分に発揮し、それを一つに結集してこそ、横浜市役所は大きな力を発揮することができます。
これは、航空整備の現場でも、災害の現場でも同じでした。
役所の職員が互いを尊重し、互いの専門性を信頼し、それぞれが自分の仕事に責任を持つ。市民の皆さんへ優れたサービスを提供するためにも、そういう市役所をつくることが大切だと思っています。
一日も早く、市役所の職員の皆さんが笑顔で仕事ができる環境を取り戻し、市政を前に進めていきたいと思っています。
編集部:市民からの信頼回復についてはいかがでしょうか。
原沢氏:もちろん、市民の皆さんからの信頼を取り戻さなければなりません。
信頼を取り戻してからが、本当のスタートです。市役所が本来の力を取り戻した上で、横浜がこれからどんな街を目指していくのか。10年、20年、30年先まで見据えた議論を始めなければならないと思っています。
編集部:来年3月にはGREEN×EXPO 2027も開催されます。
原沢氏:私は、この大きな機会を、横浜のこれからを改めて考えるきっかけにしたいと思っています。
横浜には、開港以来、新しい文化や人を受け入れてきた歴史があります。異なるものを受け入れる開放性。多様性。そして、新しいことに挑戦する進取の気性。
そうした「横浜らしさ」を、もう一度、まちの力として生かしていきたいと思っています。
横浜の18区にはそれぞれに違う個性があり、違う魅力があります。その個性を大切にしながら、地域の皆さんが「このまちに住んでいてよかった」と思える、活気のある横浜をつくっていきたいと思っています。
編集部:そのためには、市の財政についても考える必要がありますね。
原沢氏:そう思います。
夢や希望を語ることは大切です。でも、それだけでは政策は実現できません。きちんと財源を確保し、持続可能な仕組みをつくらなければなりません。
将来の世代に負担を先送りするのではなく、民間企業やさまざまな団体と適切なパートナーシップを築き、横浜自身が新しい価値を生み出していく。
そして、そこで生まれた価値や財源を、物価高への対応、福祉、子育て、教育、防災など、市民の皆さんが安心して暮らすために必要なところへ、しっかりと届けていく。
弁護士として法律を見てきた経験、社外取締役として企業経営を見てきた経験、公共調達を通じて行政と民間との関係を見てきた経験を、そこに生かしていきたいと思っています。
編集部:原沢さんは1989年、横浜市制100周年の年に、ミス横浜として横浜の魅力を発信する活動も経験されています。
原沢氏:大学4年生のときでした。ちょうど横浜市制100周年の年で、横浜博覧会が開催され、ベイブリッジが開通するなど、横浜が大きく変わっていく時期でした。
横浜の魅力を市内外に伝える活動に携わる中で、横浜の歴史やまちづくりについて学ぶ機会がありました。そのときに知ったのが、「横浜市六大事業」です。
当時、次々と形になっていた横浜のまちづくりが、実は1960年代から構想され、20年、30年という長い時間をかけて実現してきたものだと知りました。
とても衝撃を受けました。
今、私たちが当たり前のように見ている横浜の風景も、誰かが遠い未来を思い描き、その実現に向けて一歩ずつ努力した結果なんですよね。
まちづくりは、一朝一夕にはできません。
10年、20年、30年先を見据えて、今、何をするのか。
その積み重ねが未来の横浜をつくるのだと思っています。
編集部:最後に、原沢さんが目指す横浜について聞かせてください。
原沢氏:私は幼い頃から約50年、横浜で暮らし、育ち、学んできました。
その横浜がこれからどうなっていくのかを考えたとき、今だけを見るのではなく、その先の世代まで考えなければいけないと思っています。
今の子どもたちが大人になったとき、
「横浜に住んでいてよかった」
「横浜で育ってよかった」
「このまちの未来を誇りに思う」
そう思ってもらえる横浜をつくりたい。
子どもたちの笑顔が咲き、暮らすみんなの笑顔が咲く。働くみんなの笑顔が咲く。
そんな、笑顔が咲き誇る横浜をつくっていきたいと思っています。
航空整備士として学んだ安全とチームワーク。弁護士として向き合ってきた公正。企業経営や公共調達を通じて学んだ、信頼される仕組み。そして予備自衛官として実感した、人を守るための連携。
これまで培ってきた経験と専門性、そしてこれからの人生のすべてをかけて、横浜の未来に挑んでいきたいと思っています。
【原沢 あつみさんのプロフィール情報はこちら】
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