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「政治は心だよ」- 故・野中広務氏との思い出|(永田町の住人が死ぬ前に絶対に伝えたい政治の話.13)

2018/1/29

藤川 晋之助

藤川 晋之助

※本記事は転載となります。記事内容は執筆者個人の知見によるものです。

「政治とは何か」

政治は心だよ。人を裏切ったり、踏みにじった先には真の改革なんてあり得ない。必ず君が夢見ている政治なんて実現しない。二大政党政治はこの国の政治風土に根付くことはない。世の中は不条理と矛盾に満ち満ちている。それを観念で形に嵌めようとしてもそうはいかない。それが人間社会だ。政治はその上に乗っかっているんだ。いつか気づく時が来るだろう

今から25年前に、私が自民党を離党して、新生党へと行こうとした時に、野中広務氏から呼び出されて、静かな口調で叱咤された言葉だ。さらにその昔、私は衆議院の第2議員会館で秘書の仕事をしていたが、その隣に京都の副知事から補欠選挙で当選して野中氏が入室してこられた。ちょうど自治大臣をしていた代議士に随行して京都に応援に行った縁もあった。

初対面では怖い印象のあった氏だが、その後は実に可愛がっていただいた。「私は京都で共産府政と戦って来た。それに比べて国会は緩んでいるね。地方自治をわかっている議員も少ない」と、そんな感想を述べられていたことを思い出す。54歳で国会議員になられてから見事に実力を発揮されて、逓信委員長、自治大臣、幹事長、官房長官と要職に就かれて行った。

 

 

「二十歳の時に日本が戦争に負けて、仲間とともに土佐の桂浜で切腹しようとしたことがあるんだ。その時に先輩に止められて、辛いけど生きて祖国の再建に尽くせと諭された。それから青年運動をするようになり、政治の道に入った。だから戦争を知るものとして、平和を守らなくてはならない」一秘書の私にまでそんな話を聞かせて下さった。覚悟の違いを痛感した。

隣の部屋なので、野中氏が烈火の如く怒られている姿や声を何度か見聞きしたが、本当に迫力があった。よく各省庁の幹部が謝罪に来ていたが、一方で役人を驚く程大切にされていた。何度か祇園で若手官僚との宴席に同席させていただいたことがあったが、気配りは抜群でみんな野中ファンになっていた。政治家としてその懐の大きさ、深さは傑出していた。

 

 

私は足を向けては眠れぬほどのご恩をいただきながら、それに応えることなく、政治上の信念に基づいて異なる道を歩んで行った。苦渋の選択だった。そして四半世紀、野中氏の忠告通り、日本の政治はその本質において変わることはなかった。今日の野党の体たらくを見ていると、率直にこの25年の政治とは何だったのかと問いかけざるをえない。

 

君が、不倶戴天の敵のもとに走るならば、もはや今生において二度と同じ天を垣間見ることはないだろう。ご両親を大切にしろよ」それが訣別の辞だった。それからほんとうに同じ天を仰ぐ機会は訪れなかった。自社魁政権から自自連立、そして自公政権へと政治は激しく動いた。その自民党の政権への執念はまさに野中広務氏の存在を抜きに語れない。

私の父と同じ年でした。心からの尊敬と御礼と感謝の気持ちを込めてご冥福を祈念させていただきます。

 

※本記事は転載となります。記事内容は執筆者個人の知見によるものです。

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藤川 晋之助

藤川 晋之助

政治アナリスト。23歳の時、選挙の手伝いをきっかけに国会議員秘書となる。代議士秘書、大臣秘書、地方議員、放浪と隠遁生活を経て東南アジアでいくつかの事業に挑戦。帰国後、東京で藤川事務所を設立し、国会議員や首長の政策立案、選挙をサポートする。政官マスコミに幅広い人脈を持ち、田中派・小沢派での豊富な選挙経験を武器に高い勝率を誇る「選挙のプロ」としても名高い。趣味は文学と政治。

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