
(投票日直前の鳥越俊太郎氏。撮影:兼子草平)
7月31日に行われた都知事選では小池百合子氏が勝利し、民進党を中心とする野党4党が推薦した鳥越俊太郎氏は3位に終わりました。都知事選前日の30日には、民進党の岡田克也代表が次回の党首戦への不出馬を表明するなど、野党サイドは波乱が続いています。
さらには、9月15日に行われる民進党の代表選に立候補する意向を表明した長島昭久氏は、参院選での共産党などとの選挙協力を「党内議論がないままなし崩しに行われた。民進党が主体になるべきだ」と発言。都知事選での野党共闘も含め、見直す意向を述べています。今後も波乱が続く見込みです。
今回この記事では、野党共闘とはどういう仕組みなのかを解説した上で、それが民進党にもたらす混乱を、比較的に歴史的に考えたいと思います。
では、問題になっている野党共闘を振り返ってみましょう。昨年の安保法案の審議で、SEALDsなど数多くの市民団体が反対を表明し、幅広い年代を巻き込んで抗議活動が起きたことは記憶に新しいことだと思います。そうした市民グループが連合して、「市民連合」という団体を設立し、安保法の廃止に向けて野党の協力を促したというのがことの始まりです。
その後、市民連合は民進党など4党に自らの政策要望書に署名させたり、参院選で野党4党の候補者を一本化させたりするなど、野党の協力を具体的なものにしていきました。こうした動きの結果出来上がった野党の協力関係が「野党共闘」と呼ばれるものです。
ここで、興味深いのは、市民連合内の各グループは主に安保法案廃止に向けて運動を続けていましたが、参院選前の政策要望書では安保法廃止のみならず、格差是正に向けた福祉拡大や税制改革にまで踏み込んでいた点です。これらの政策はリベラル派が好むもので、そうした政策を好まない民進党保守派は反発しました。それが野党共闘そのものへの批判にもつながるわけです。
つまり今回の騒動は、参院選や都知事選での敗北という結果を受けて、民進党内の反発が表面化した形と言えます。民進党は今後よりリベラルな政策を打ち出すか。それとも無党派層に配慮して保守系にも配慮した政策を打ち出していくか。まさに今起きているのは、民進党の方針争いと言えます。

(ヒラリー氏Youtubeより)
保守政党に対抗してよりリベラルな政策を打ち出していくか。もしくは、保守とリベラルの中間層を意識した中道的な政策を打ち出していくか。こうしたリベラル政党内での方針争いは日本に限ったことではありません。アメリカやイギリスでも起きています。
アメリカの民主党では、予備選を戦ったヒラリー・クリントン氏を応援するグループとバーニー・サンダース氏を応援するグループに大きく分かれています。前者は福祉中道的な政策を目指すグループで、後者は格差是正を目指してよりリベラルな政策の実現を目指すグループです。この差は極論すれば「どれだけ福祉に予算を回すか」ということになります。今回の予備選におけるサンダース氏の善戦を受けて、この亀裂が明らかなものとなってしまいました。予備選が終わった今も溝は埋まっておらず、サンダース氏支持者の中には民主党候補となったクリントン氏を支持しない人も出てきています。一体どうしてこのような溝が生まれたのでしょうか。
サンダース氏の格差是正に向けた主張は、かつての民主党の主張と親和的なものでした。民主党はもともと福祉拡大や人種差別・女性差別是正、反戦、同性愛支持といったリベラルな政策を訴えてきました。しかし、その間民主党は大統領選でほとんど勝てませんでした。1969年から1992年までの24年間民主党から大統領が出たのは4年間のみという負けっぷりです。
その状況に危機感を持ったのがヒラリー・クリントン氏の夫、ビル・クリントン氏でした。民主党が掲げていたリベラルな政策が無党派層に嫌われていると考え、それらの政策を大きく転換しました。そうした中道的な政策と、クリントン氏の魅力がヒットし、1992年の大統領選ではクリントン氏が勝利することで12年ぶりに民主党候補が大統領になりました。
その後クリントン氏は2期8年大統領職を全うします。この間クリントン政権は、先進国でトップレベルの経済成長や財政赤字の削減に成功します。まさに、中道的な政策が成功を収めた8年間。2000年の上院選ではヒラリー・クリントン氏が初当選するなど、クリントン人気は大きなものとなります。その後も2004年頃まで彼らの人気は続きます。
しかし、その後イラク戦争やリーマン・ショックによる格差拡大は、彼らに対する不信感を生み出しました。つまり、従来の反戦の民主党であれば「イラク戦争を支持しなかった」だろうし、「福祉にこだわる民主党であれば格差拡大も緩和された」だろうという批判です。その批判は今回の民主党予備選まで続きます。結果として予備選ではクリントン氏が勝ったものの、彼女はリベラル派に配慮せざるを得なくなりました。一方で、予備戦後クリントン氏は再び中道派に戻る動きを見せています。このようにアメリカではリベラル派と中道派の争いは1992年以来四半世紀に渡って続いてきました。同様の現象はイギリスでも起きています。

(都知事選での野党共闘の一場面。撮影:兼子草平)
では日本ではどうなのでしょうか。リベラル政党が政権を担えなかったという点では、アメリカやイギリスをも上回ります。1955年以降1993年まで自民党が政権を担い続け、最大野党でリベラルの社会党は一回も政権を担えませんでした。その後社会党は1990年代に政権を担当しますが、連立与党に配慮した結果、彼らのリベラルな政策を十分に反映させることができませんでした。そのことが社会党の衰退へとつながります。
その後、政権交代を目指す野党として民主党が誕生します。この政党は旧社会党などリベラルな議員を多く含むものの、元自民党議員やそれに近い政策スタンスを持つ保守よりの議員も多く在籍しました。まさに、リベラル派と中道派が争うアメリカ民主党と似た状況に当初からあった訳です。
後に民主党は政権を担いますが、この間も普天間基地問題や消費税増税をめぐって、リベラル派と中道派の対立は続きます。それが「決められない政治」として有権者に不満を持たせる一因となります。野党転落してからは、リベラル派や中道派とも距離を置く岡田克也氏を代表とすることで、両者の関係の悪化を防いできました。しかし、民主党が民進党になった後2016年、再びその関係は悪化したというわけです。
アメリカの事例や国内の事例を見てきました。今回の事態は、民進党の歴史的にも、あるいはアメリカやイギリスとの比較的にも、予想された事態だということになります。政権から遠かったリベラル政党が政権を目指す過程で、無党派層を狙った中道派的な政策を取るようになったというのが、大きな共通点となります。今回の長島氏立候補検討をめぐる混乱について、「リベラル派は中道派と袂を別つべきだ」といった意見が散見されます。しかし、その場合リベラル派は実際に選挙に臨む時に厳しい戦いを強いられることになるでしょう。それはかつての社会党やアメリカ民主党やイギリス労働党にも共通することです。中道派もそれだけで選挙を戦える訳ではありません。歴史上、中道派はリベラル派の支持を取り付けることが政策実現には必要でした。
結局、リベラル派と中道派は協力せざるを得ない状況ではあるものの、政策的にどうしても対立してしまいます。これからも対立は続くでしょう。
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