前回に続いて、過去の参院選を闘った政党のスローガンを見て行く前に、2004年の参院選はどんな選挙だったか、簡単におさらいしてみましょう。
小泉純一郎氏が総理に就任してから3年弱が経過し、この選挙では民間枠の大臣であった竹中平蔵氏を出馬させるなど「聖域なき構造改革」路線を進めている最中だったものの、議員の年金未納スキャンダルなどにより支持率は伸び悩み、1議席減らして49議席に終わりました。
民主党は年金スキャンダルを菅直人代表が「未納3兄弟」と揶揄して追求するも、自身にも未納期間があったことが発覚して代表辞任。後任の岡田克也氏が代表として闘い、自民党より多い50議席を獲得。後に国会をねじれ状態に持ち込み、政権交代に至る土台固めとなった選挙でした。
公明党は重点候補ではない鰐淵氏が比例最下位で当選して1増。共産党は11議席を減らす大敗。社民党は2議席獲得にとどまりました。結果的には共産党の議席が民主党に移動し、他はほぼ横ばい、といっていいでしょう。
また、この選挙では比例区の候補者数が過去最少で、ミニ政党はみどりの会議、女性党、維新政党・新風の3党しか出馬していない、選挙ウォッチャー的には寂しい選挙でした。
目次
2つのスローガンを併用していました。改革への意欲を示しつつ、後ろを追いかける民主党を意識した守りの姿勢も見え隠れするものになっています。
結党以来鳩山由紀夫氏と菅直人氏が交代で代表を務めていた民主党でしたが、ここで比較的フレッシュな(年金未納もしていない)岡田克也氏が前に出てクリーンさを押し出しています。
キャラクターの濃い小泉内閣の中で埋没しないために掲げたセールスポイントが「実現力」でした。「マニフェスト」の用語が使われだしたのもこの前年、2003年の衆院選あたりからでした。
少々説明的な長いスローガンになっています。冒頭にも述べたように年金問題がポイントになっていたわけですが、逆に年金以外の争点があまり明確になっていなかったことが共産党、社民党が苦戦した理由だったかもしれません。ちなみに共産党が言う「アメリカいいなり」や社民党が掲げている「自衛隊のこと」は自衛隊のイラク派遣のことを指していますが、当時はまだアメリカ同時多発テロの記憶も新しく、アメリカがイラクの大量破壊兵器捜索を断念する前で、国民的な争点として押し上げられていませんでした。
この年の女性党は、現職の議員を擁するみどりの会議より8万票以上多く得票し、議席獲得にあと一歩というところまで迫ったことはあまり知られていません。
※みどりの会議、維新政党・新風 の新聞広告は確認できませんでした。
次回は2007年、第一次安倍内閣の時に実施された参院選を取り上げます。
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