竹内謙
2011年6月8日
永田町は見るに見かねる惨状を呈している。政治全体がこれほどまでに当事者能力を失ったことはかつてなかった。菅政権に対する内閣不信任決議案が採決される前日の6月1日に「メルトダウンした日本の政治」のタイトルで国会の自壊現象を論じたが、採決から今日に至る状況をみると、ますます酷い。まさにメルトダウンからチャイナシンドロームへ、同時中継を見せられているかのようだ。
不信任政局は菅直人首相を退陣に追い込んだことばかりに焦点があたるが、もっと深刻なことは、仕掛けた方も仕掛けられた方も死屍累々、焼け野原には立ち上がる者もいない勝者なき政局に陥ったことだ。
仕掛けた方から検証してみると、自民党の谷垣禎一総裁は民主党小沢グループの造反の動きに釣られ、「可決できる」と踏んで不信任提出に踏み切った。これが読み間違いだった。不信任案は1国会に1回しか提出できないから、これからの国会運営で、野党の重要な武器を失ったことになる。通常は会期末に提出してきたが、小沢グループと気脈を通じる森喜朗元首相ら長老にそそのかされた愚かな判断だった。谷垣氏は菅首相の辞任意思を引き出した「成果」を強調するが、党内の長老と若手の間の意見の隔たりに揺れ動いて、党内人気は低迷したまま、大連立構想の首相候補にも名前が挙がらない。
不信任政局の震源地になった小沢一郎氏は「不信任賛成」でグループの結束を図ったが、1日夜に71人を集めて「十分われわれの意思が国会で通ると思っている」と力を誇示したまでが花だった。採決を前にした2日昼過ぎからの民主党代議士会で菅首相が「震災への取り組みに一定のメドがついた段階で」と条件付きの退陣意思を明らかにすると、あっさりと戦闘を停止して、自由投票に切り替えた。なぜ、徹底抗戦をやめたのか。新党まで準備していたというなら、やるだけやって党を割った方がわかりやすい。結局のところ、何をやるにしても人数が足らなかったのだ。これで小沢一郎氏の求心力低下は避けられないだろう。
菅首相と小沢氏の間で調整に動いた鳩山由紀夫前首相は、大甘ぶりをさらけ出してしまった。首相と前首相が交わした「確認事項」の文書には、「辞任」という言葉も署名もない。
これでは復興基本法案の成立と第2次補正のめどがついたら辞任の約束をしたことにはならない。反故になるのが相場になっている政治家の念書としても出来が悪すぎる。要するに、時間切れが迫る中で約束した「確認事項」は結論が曖昧なままで、菅首相は「辞任」の言質を与えずに逃げ切ったことになる。後から鳩山氏が「政治家同士の約束を守れないのならペテン師だ」などとどぎつい言葉を使って非難しても、「そういう人間ならば不信任案に賛成すべきだった」と後悔の念を口にしても、ご本人の政治家としての詰めの甘さが際立つばかりだ。
菅首相も不信任案は否決された夜の記者会見で「震災への取り組みに一定のメドがついた段階で」という辞任の時期を訊かれて、わざわざ「原子力事故の安定的な収束」を持ち出す必要はなかった。せっかく、鳩山氏との間で曖昧な「確認事項」をつくって逃げ切ったのに、否決の安心感からか、すこしでも長く首相の座にいたいという本音が漏れ出てしまった。この発言が与野党から一斉反発を受けることになり、もはや早期退陣は避けて通れない情勢になった。
それにしても、菅政権退陣のあと、いったい誰が、この難局を担えるのか。谷垣自民党総裁は菅首相との党首討論で「あなたが辞めれば党派を超えて新しい日本のために団結していく道はいくらだってできる」と大連立に積極的な姿勢を見せていた。民主党の岡田克也、自民党の石原伸晃両幹事長が期限つきの大連立にそろって前向きな考えを表明したのは、菅首相の辞任時期発言から3日後の5日。それが2日後の7日には自民党から慎重論が吹き上げて、早くもブレーキが掛かった。菅首相が退いても、あとがどうなるかは五里夢中にある。
政界の人材難が最大の国難であること、その原因が現職と政党に有利な公職選挙法にあることは繰り返し指摘してきた。軽佻浮薄、朝改暮変、付和雷同、右往左往の政治家が多すぎる。いっそのこと、「国策」として進めてきた原発が「安全神話」を覆す事故を起こした責任をとって、国権の最高機関たる国会の議員全員が辞職したらどうだろうか。2022年までの「脱原発」を決めたドイツはほとんどの国会議員が地方自治の実務経験者だという。日本も一度、そんな人たちに国会を明け渡した方がいい。
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