2021/2/20
◆20日郷土資料館友の会例会で「石見の雑学」と題して、楫ヶ瀬孝さんの会員発表がありました。お話は、1626年(寛永3年)スペイン人ディエゴ・テ・サンフランシスコが浜田を通過し、その記録が海外にあること、8代浜田城主本多氏は、外ノ浦の金刀比羅神社にある鳥居を勧請しその石材は、須磨の桜御影石であること、武田信玄の子どもの石見守を名乗った大久保石見守長安は、鉱山技術や勘定の才覚を発揮し初代石見銀山奉行として任にあり、さらに佐渡や伊豆の奉行も兼任していたこと、
◆大正天皇の皇太子時代の行啓では御便殿にお泊りになり、そのときお忍びで浜田を訪れた東郷平八郎大将は、外ノ浦の金刀比羅神社に参詣し「外乃浦 波み静なり・・・」の書を揮毫したこと、北前船が航行し船言葉から、江戸から来るものを「下りもの」と言い、ここから「くだらん くだらない」の言葉ができ、船の艫(とも 後)から舳(へさき 前)へ風が吹くことで船は前へ進みますが、ここから「まとも」との言葉が生まれたとのことです。楫ヶ瀬さんご自身が提案した「浜田城御城印」についてもお話があり、浜田、石見を知るうえでとても勉強になる発表でした。
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