2022/5/15
【㊗️沖縄復帰50周年㊗️犬伏、自衛官任官50周年に想う】
沖縄が米国統治から日本に復帰して今日で50年を迎えました。そして、その事とは関係ありませんが、私も昭和47年4月3日に「自衛隊生徒3等空士」に任官してから50年が経ちました。
防衛大学校学生や現自衛隊生徒の教育機関である高等工科学校生徒は「自衛隊員」ですが「自衛官」ではありません。多分、15歳の国家公務員は他の官庁にはいないと思います。
さて、ダブタブの航空自衛隊生徒の制服を身につけた私がショックを受けたテレビ映像がありました。それは、日本に復帰した沖縄に航空自衛隊が移駐する為、深夜(早朝だったかも)に、那覇港に接岸した貨物船から荷上げをし、隊員も密かに上陸した映像でした。
さらに、沖縄県に異動した自衛官や家族の住民票を県内自治体が受け入れを拒否したのです。自衛官の子弟は公立学校に通えない事態もあったと聞きました。
自衛官服務の宣誓
「(前略)事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」
との宣誓をしたばかりの犬伏3等空士は戸惑いました。
命をかけて国民を守るとしている自衛隊の部隊や自衛官が、コソコソと夜中に移駐して、住民票すら受けて貰えない、この国は何かおかしい、と。
さらに翌昭和48年9月「長沼ナイキ訴訟」において札幌地方裁判所は「自衛隊違憲」を理由に、ナイキ基地建設の為の保安林解除は違法との判決を出したのです。
俺たち、朝から晩まで、毎日毎日、国民、国土を守る為筆舌に尽くせない訓練を続けているのに「違憲」かよ。
やっぱり、この国はおかしい、と思いました。違憲判決後、防衛庁長官が全基地、全駐屯地に対し放送で訓示を流されました。
曰く
今回、自衛隊違憲との判決が出たが地方裁判所のことである。諸官らは、これに怯むことなく職務を清々とこなして欲しい。
そのような趣旨の放送だったと思います。
ちなみに、違憲判決を出した裁判長は日本共産党の関係組織である青年法律家協会(青法協)会員であり、被告である国は裁判長の罷免要求をいたしました。
そんな国家不信のジレンマの時、生徒隊舎で消灯後にある先輩に呼び出されました。暗い部屋で先輩は熱く語り始めました。
先輩:おまえ、いまの日本どう思う?我々自衛隊は違憲だと言うし、街を歩けば「税金泥棒」と言われる。政治家は汚職だらけだ。なんとかしなきゃいけないと思わないか?
私:はい、酷いと感じます。なんとかならないか、と思います。
すると先輩は、自衛隊の中に出来つつある組織「さくら会」について説明されました。陸海空自衛隊の部隊ごとに組織されていて、時期をみて蜂起する。おまえも参加しないか?と聞かれました。
自衛隊生徒の伝統として、先輩の命への返答は、「ハイ」か「Yes」しかありません。もちろん、ハイと返事を致しました。ただし、と生意気にも以下の意見を申し述べました。
世界のクーデターを見るにつけ、軍隊だけが蜂起してもダメ。国民の支持を得るクーデターにしなければ。
暗い部屋のなか、先輩と握手をした瞬間、日本の未来の為、決起するのだ、と大興奮したのを昨晩の事のように覚えています。
結局「さくら会」構想は自衛隊上層部の知るところとなり、1佐(大佐)クラス数名が処分されて終結したのです。
昨今、ウクライナ侵攻を機に、国の安全保障につき議論される機会が増えてまいりました。
9条があれば大丈夫、国連を中心に話し合えば解決する、といったお花畑議論は無意味である事を、私たちは毎日テレビ映像で見せつけられています。
腐れ共産党や立憲民主党は、憲法改正を議論する場である憲法審査会の開催にすら反対するというバカぶりです。
この際、バカは放っておいて、是非、良識ある国民の皆様には「最大の防衛は抑止力たる戦力保持」である事にご理解をお願い申し上げます。
(さくら会については50年間話さないでおりましたが、もう時効だろうと公開いたします。)
↓左側、生徒一年生(15歳)、右側、3年生(18歳)
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