2026/7/18
今日は、川崎市ふれあい館で開かれた「世界で暮らすクルドの人々」という講座に、参加しました。事前に申し込んで、一市民として参加して帰るつもりでした。しかし、入口では、安田浩一氏らから、絡まれました。そして、講演の合間には石橋学氏から執拗に質問されました。
あまりにしつこいので、ふれあい館は児童館でもあるので、迷惑になるから無視すると言って黙っておきました。
こういったことが起こるのが1つの答えになっていると思います。

市が主催する公開講座は、事業に賛成する人だけが集まる仲間内の催しではありません。批判的な市民も、静かに参加し、内容を確かめることができなければなりません。実際はそうなっていないことが現地で確認できたことは、ある意味成果でしょう。
これだけでなく、各地の小学校で行われている教育もあります。これを見たところでは、やはり川崎市の「多文化共生教育」は、制度そのものが特定の団体、特定の文化、特定の思想に偏っています。
川崎市の令和7年度「多文化共生ふれあい事業」は、78校で実施されています。

韓国・朝鮮を扱う学校は67校、約86%です。韓国・朝鮮だけを扱う学校も38校あります。ふれあい館が実施団体となる学校は32校です。
これは「多文化」と呼べるでしょうか?
川崎市には、中国、フィリピン、ベトナム、インド、ネパール、ブラジルなど、さまざまな背景を持つ市民が暮らしています。それにもかかわらず、学校の授業時間を使った事業が、これほど韓国・朝鮮に集中しています。
さらに問題なのは、事業の目的です。
川崎市の資料には、ハングル基礎講座の目的として、
「韓国・朝鮮人のアイデンティティの確立」
と書かれています。

母国語学級についても、
「母国語・母文化の保持」 「自我の確立」 「民族的文化を学び、自分を見つめる」
とされています。
しかし、どの国や民族に自分が属すると考えるか、どの文化を自分の文化として大切にするかは、本人が自由に決めることです。
行政が公費を使って、
「これがあなたの母文化です」 「民族的アイデンティティを確立しましょう」
と方向付けるべきではありません。
外国にルーツを持つ子どもも、一人ひとり違います。
韓国籍の人、朝鮮籍の人、日本国籍の人、複数の国や地域にルーツを持つ人がいます。家庭で韓国語を使う人もいれば、日本語しか使わない人もいます。民族文化を大切にしたい人もいれば、特定の民族として扱われたくない人もいます。
その多様な個人を「韓国・朝鮮人」という一つの民族共同体にまとめ、行政が民族意識を育てようとすることこそ、多様性の否定ではないでしょうか。
資料では、
「韓国・朝鮮人」 「韓国・朝鮮語」 「韓国・朝鮮文化」 「民族文化」 「母国語・母文化」
という表現が繰り返されています。
韓国は現在、世界有数の先進工業国であり、音楽、映画、ドラマ、文学などを世界に発信しています。
一方、北朝鮮は南北統一という従来の方針さえ放棄し、韓国を別の敵対国家として扱うようになりました。
それでも川崎市の事業は、韓国と北朝鮮を区別せず、一つの「朝鮮民族共同体」として扱う古い枠組みを引きずっています。
舞踊講座は、その矛盾をよく示しています。

資料では「韓国・朝鮮に伝わる伝統的な舞踊」と説明されていますが、講師は「韓国舞踊家」であり、韓国の重要無形文化財であるサルプリ舞の履修者です。
実際に教えているのは韓国の文化財制度につながる韓国伝統舞踊なのに、それを「韓国・朝鮮の民族文化」として一括しています。
これは単なる言葉の問題ではありません。
まるで前世紀のような在日朝鮮人民族主義の枠組みを、現在の公教育や社会教育にそのまま残しているという問題です。
市民向けの人権尊重学級では、
といったテーマが並びます。
これらは、どれも扱ってはいけないテーマではありません。
しかし、外国人政策の費用、在留管理、地域住民との摩擦、法秩序、表現の自由、人権規制の限界など、別の観点を持つ講師はほとんど見当たりません。
最初から結論が決まった啓発講座に、同じ方向の講師を呼び続け、それを「多角的な学習」と評価しています。
これは多角的ではありません。
税金を使い、行政と指定管理者が選んだ価値観を市民に啓発しているだけです。
私は、社会福祉法人青丘社のすべてを否定しているわけではありません。
日本語の学習支援、子育て支援、防災情報、高齢者支援など、地域で必要な事業があります。桜本地域で青丘社が果たしてきた役割もあります。
だからこそ、福祉と教育を分けるべきです。行政が福祉を青丘社に頼っている現状で、教育内容に市や市教委は口出ししにくいでしょう。
生活に困っている人を助けることと、学校や市民講座で特定の民族観・人権観を教えることは、全く別の仕事です。
地域福祉に必要な団体だからといって、その団体に公教育や市民啓発の企画、講師選定、事業実施まで継続的に委ねる理由にはなりません。
現状では、青丘社が運営するふれあい館が、企画を作り、講師を配置し、講座を実施し、効果を自ら評価しています。
外部から異なる視点が入る仕組みはほとんど見えません。
これは単なる講師選びのミスではなく、制度の構造的な問題です。

多文化共生を名乗りながら特定の文化に偏り、個人の多様性より民族共同体を重視し、異なる考えを持つ市民が参加しにくい空気を生んでいます。


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