2023/3/12
3.11
昨日、東日本大震災から12年が経過しました。
震災の当時、私は卒業を控える大学4年生。
14時46分、横浜の自宅アパートにいました。少し遅めの外出の準備をしているところ、体感的に初期微動を感知。
「これは大きいのが来る」と思った瞬間、まず一回目の突き上げるような強い揺れ。
無意識のうちに、足は玄関へ。万が一、建物が変形し、また火災に備えて、気が付けば玄関ドアをとっさに開けていました。
兵庫生まれ兵庫育ちの自分にとっては、兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)等を体感しているので、地震に対する恐怖心と初動の重要性が身体に刷り込まれています。
着替え途中のままコートを羽織り運動靴で玄関先へ。万が一の倒壊を懸念し、階段を使いアパートの敷地外、公道へへ。
少し歩き、幹線道路へ。信号も電車も止まり、しばらくすると国道を歩く夥しい人の群れが出現。公共交通機関は停止し、都市機能は即座に麻痺。首都圏の災害時の脆弱性を露見しました。
震源から離れた横浜でもあの光景です。
テレビから流れる衝撃の映像に言葉を失ったこと。昨日のように思い出します。
6歳で兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)を経験。
5時46分、突き上げられる衝撃で目を覚まし、すぐに父親に、庭に停められたミニバンに毛布とともに運ばれた記憶も蘇りました。
食器棚や家財道具が軒並み倒れ、お皿やグラスが割れ床に飛び散りました。家の外壁にも入ったヒビ。
小さいながらに、地震、災害の怖さを肌で感じ、兵庫県にも活断層が多く、今後もリスクを知ったうえで生活しなければならないこと、兵庫人の体感として脳裏に刻まれています。
災害と隣り合わせの我が国日本。
いつかくる、その前提で平時から準備を進めていかなければなりません。
写真は先日の明石市役所からの景色です。大好きな海。笑顔が溢れる海。
この綺麗な海を守り、そしてこの海に親しむ人々の命も必ず守られなければなりません。
来る南海トラフ地震に向けて、定期的に防災減災の準備をする仕組みを、改めて構築し、未来へ繋いでいかなければなりません。
被災県である兵庫県だからこそ防災減災の観点からリードできる経験とノウハウがある。
もっともっと、それらを継承するとともに水平展開し、ハードだけではなくソフト面での防災を、教育や地域レベルに落とし込み、確実に県民が意識し、引き継いで行ける仕組みを作らないといけない。
微力ながら、2度の大地震を体験した者としてみなさまと対策を進めていかなければならない。
そう思った、12年目の3.11でした。
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ハシモト ケイゴ/35歳/男
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