2022/7/1
自分が立候補しているわけでも何でもないのに、選挙の雰囲気に飲み込まれ、すっかりこの日記の更新を忘れておりました。
党の皆さんが選挙で忙しい時期に、のんきに日記なんて書いてんじゃねーよ!という幻聴が聞こえてきそうですが、なま温かい目で見守っていただければ幸いです。
やっとのことで、今回は、政策秘書のお話です。
さて、私は、たしか2007年(平成19年)ころに、国会議員政策担当秘書資格試験を受験して合格しました。
ちなみに、正直に言うと、司法試験に落ちた時のための保険として受験したのでした。
政策秘書の試験自体は、とても難しかったという記憶です。
自治問題では、1週間くらい前のインドネシアの情勢などが問われたような気がします。
あとは、おそらく、一般的な公務員試験(数学、英語、理科など)と、政策に関する論文式試験でした。
面接もありました。
その時は、ねじれ国会だったようで、面接では、ねじれ国会はダメか?という趣旨の質問をされました。
私としては、二院制の趣旨からして、ねじれ国会はむしろ好ましいと答えました。(参議院の独自性・存在意義を発揮できるから。)
試験官は、ニコニコしていたように感じました。(試験官は、参議院の人だったのかもしれません。)
あとは、大学院を出ているのに(試験を受験しなくても、政策秘書認定があり得るのに、)どうして受験するのか?などを聞かれました。
これについては、私の出た大学院が専門職大学院であり税理士の試験免除もないところ、認定の際の「大学院」に当たらない可能性があること、政策秘書認定には国会議員の推薦が必要であることなどを答えました。
その後、政策秘書試験に合格すると(いわゆる「試験組」と言われます。対義語は、「認定組」だったでしょうか。)、採用希望名簿に登録することができます。
この名簿に登録していると、国会議員(事務所)の方から、面接に来ませんか?という連絡がきます。
かつて、この名簿には、3回ほど登録しておりました。
1回目は、政策秘書試験の合格直後です。
今よりも若かったせいか、多数の連絡をいただきました。
当時当選したばかりだった●川●代先生の事務所からも面接オファーの電話があったように思います。
ただし、ちょうど第1希望である司法試験に合格したので、名簿登録を取り消しました。
2回目は、弁護士4年目を迎えて、事務所を移籍した時でした。
移籍した事務所がちょうど永田町にあったせいもあり、弁護士との兼業でなら、やってみたいなと思い名簿登録しました。
この時は、名古屋に張り付いて欲しいという議員事務所や、琉球王国の復活を訴える議員事務所から、面接オファーの連絡をいただきました。
実は、渡●喜●先生のご親戚の議員事務所で面接を受けたことがありました。しかし、弁護士兼業を言ったところ、簡単に落ちました。(そもそも、名簿登録段階の履歴書には明確に書いてあったのですが。)
兼業だと採用は難しいのかと思い、弁護士業も忙しかったので、名簿登録を取り消しました。
3回目は、2019年(令和元年)の夏の参議院選挙の直前に、名簿登録しました。
いくら日弁連から障害者関係で多数の意見を苦労して出しても、立法の気配などはなく、国会に届いていないのではないかという思いからでした。
メールなどで議員事務所から問合せはそれなりに来たのですが、(名簿の履歴書に書いてあるとおり)弁護士兼業希望ですと言うと、それ以上の面接オファーなどはありませんでした。
しかし、登録から1年くらい経ったところで、弁護士兼業でもいいから来て欲しいという議員がいました。それが、浜田聡・参議院議員でした。
メールをいただき、私の方で調べたところ、所属がNHKから国民を守る党だったので、ちょっと心配になり、現役で他党の政策秘書をやっている友人に電話したのでした。その友人の意見は、「立花先生だったら止めた方がいいけど、浜田先生なら大丈夫だよ!」というものでした。
信頼する友人の意見ということもあり、浜田議員の面接を受けに行き、弁護士兼業という前提で政策秘書をやってみることになったわけです。
以上のような経緯で、弁護士兼務政策担当秘書としての業務が始まったわけです。
業務の内容などについては、また次回以降に書いてみます。
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オオタキ ヤスミネ/45歳/男
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