2024/6/26
今まで立てた仮説のいくつかを紹介します。
皆様からの反証や同意、事例などをお待ちしております。
【私の立てた仮説3】
資本主義が進んでAIやロボットなど自動化が進めば、労働力がいらないので、支配層は貧乏な労働者階層を必要としなくなるという意見があるが、それは違うと思う。
同じ種類で交配可能であるならば、遺伝子プールの多様性を維持する意味で存在価値がある。
天才が生まれて創造性を発揮することや、美人や友達として魅力的で面白い人が生まれること、疫病が大流行したときに、抵抗力のある遺伝子を持っている人がいることを期待するため、ある程度の人口が必要であり、人間は存在するだけで価値があり、労働しなくても、趣味や芸術活動や研究だけしていてもそれはそれでいいと思う。
ただし、多すぎる人口はもう必要ではない。今までは大衆文化や科学技術が発展するために、ある程度の市場規模が必要で、1つの市場に1億人くらいは必要だった。
つまり人類の文化が進歩するために多い人口が必要だった。キリスト教で「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」という言葉があるのは、おそらくそれが理由ではないのだろうか。
しかし、現在は文化活動や科学研究に従事する人の割合が昔に比べて上昇したこと、生産技術が上がって小ロットでも採算が取れることなどから、昔ほど多くの人口は必要ない。
人口が多いと人権が軽視される傾向があるので、ほどほどでいいのではないか。
人口抑制に関しては、先進国で起こっているような自然な減少に任せる方がよく、産みたい人の人権を侵害することがあってはならないと思う。
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ミヤモト ジュンコ/58歳/女
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