2024/5/13
友人に男の子が4人いる人がいるのですが、一番下の子はまだ小さいのでおいておくとして、上の3人がなかなか社会人として独立できないでいて、たまに友人と話すと自立してほしいとぼやいています。
この友人は、特殊な学校に子供たちを通わせていて、その学校の理念に基づいた育児方法を採用していました。その育児方法のルールの一つが、子どもたちに戦闘シーンのあるTV番組を見せないというものでした。
おかげで、どの子も本当にやさしくていい子で、他所の子が戦隊ヒーローの真似をしてお昼寝しているお父さんに蹴りを入れている中で、女性が理想とするような非暴力的な優しい男性に育ちました。ただ、就職する年齢になって社会人としての自立が上手くいかなくなりました。
経済的な因子など、別の要因もあるかもしれませんが、やはり周りの男の子は、普通に「仮面ライダー」だの「ウルトラマン」だの「ドラゴンボール」だの(古くてすいません)見て育っているので、いざ社会に出て競争になったときに、非暴力的な性格に育てようという育児方針が社会での競争に不利になったのではと考え込んでしまいました。
ただし、友人の理想は間違ってないです。現実が理想に追い付いていないだけです。
要するに人類は他の動物に比べて闘争心が強すぎるのだと思います。
これは人類進化の過程で、長い期間にわたって部族間戦争があり、負けると男性は殺され、女子供が奴隷になるという状況が続いたことが原因ではないでしょうか。
例えば、戦争が起これば通常は若い男性が戦います。
彼らは母国に残る母親や妻や子供たちを守るために戦地に赴いて命をかけます。しかしこれは「個人の利益(若い男性が戦わず生存し続けたいという願い)」を犠牲にして「集団の利益(戦争に勝って自部族の女子供・老人を守る)」を優先していることになります。
つまり、集団のためならばたとえ自分が死ぬことになっても戦える男性がいる部族は、戦争に勝って生き残ることができます。
男性が自己中心的で集団より自分の命が大切と思っているような部族は戦争に負けて消滅します。
男性の性質にしたがって人類が性淘汰され、好戦的な性質に進化したということになるでしょうか。
現存の人類は、そうやって戦争を何度もして勝ち残った人たちの子孫なので、非常に闘争心が強いと思います。
良く考えてみてください。アクション物映画ややくざ映画、戦闘ロボットアニメ、こういうコンテンツは昔から大人気です。
ただ戦争や紛争も少なくなった現代社会で、これだけ強い闘争心が必要なのかという疑問も感じます。
生物学的な改変モディファイ(遺伝子操作)などは医療倫理に反するので禁止されています。もしできたとしても、改変された同じ遺伝子が人類の遺伝子プールに増えていくと遺伝的多様性が低下してしまいます。
遺伝的多様性があれば、例えば100万人に1人は特定の細菌の免疫を持っているかもしれません。でも遺伝子が比較的均質だとその免疫を持っている人自体が見つかりません。
遺伝子が均質になることで、伝染病が発生したときに人類が生き残れる確率が低下するかもしれません。
生物学的アプローチがだめならば、制度的なアプローチをしてみるといいかもしれません。
太古の社会では女性が祭祀やリーダーを務めていることが多かったらしいですが、女性は男性のようなピラミッド組織を作らず、フラットな社会をつくるので、女性リーダーに組織を作らせると、よりフラットで争いや競争の少ない組織、いろいろなものを共有して分配する組織になる可能性があります。
人類の古代史で、保存のきく穀物の生産をまだしていなかった時代は、捕獲した魚や動物は腐ってしまうので、全員に平等に分配していました。これにより貧富の差の少ない競争の少ない社会ができていたので、腐るお金(お金のシステムに使用期限があったり、時間と共に減価するお金)を作って貧富の差を減らす方法も考えられます。
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ミヤモト ジュンコ/58歳/女
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