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宮本 じゅんこ ブログ

今日は、私が獣医になるという夢に敗れ、20代の時に人生に迷っていたときに、どのように立ち直り、...

2020/12/5

今日は、私が獣医になるという夢に敗れ、20代の時に人生に迷っていたときに、どのように立ち直り、人生の目標を定めたかについて話します。

私は子供のころから生き物が大好きで、夢は獣医さんになることでした。
両親は女の子なのだから地元で就職して、結婚すればいいと、商業高校に行くよう言っていましたが、私は両親を押し切って、松江北高校に入り、大阪府立大学の獣医学科に入りました。
しかし、現実は厳しく、獣医になるための勉強は大変厳しく辛いものでした。専門用語だらけの生理学や病理学、生化学といった医学系の学科に加えて、たくさんの実験や実習をこなさなければなりませんでした。
獣医の勉強はもしかしたら人間のお医者さんよりたいへんかもしれません。
というのは、解剖学一つでも、動物によって骨の数や歯の数が違い、肋骨はヒトが12対、ウマが18対、イヌが13対というように動物ごとに覚えなければなりません。
特に大変だったのは解剖実習で、犬から始まってブタやウシ、ウマを屠殺して解剖するのですが、早くしないと屍体が腐るので、1回の解剖実習で朝9時から夜8時まで3日連続で、解剖実習室で立ちながら勉強をします。
私は子供のころから血見るのはわりあい平気だったので、自分は大丈夫だろうと思っていたのですが、さすがに長時間血や内臓を見ていると気持ちが悪くなりました。
4年生になって研究室に入ると実験用ラットの世話をすることになりました。
ラットを繁殖させるのですが、不要なラットの子供は、殺処分しなければなりませんでした。先輩からやり方を教えてもらいましたが、私はやりたくなくて、学校に行かなくなりました。
動物の命を助けたいと思って、獣医を目指しましたが、現実には、たくさんの命を犠牲にしなければ、獣医にはなれなかったのです。
私は留年し、留年した1年間は下宿でだらだらテレビを見て過ごしていました。元は明るい性格でしたが、別人のように陰気で笑いもせず人を避けるようになっていました。
母はそんな私を立ち直らせようと、私を休学させ、母の信仰している天理教の修養科という寄宿舎付きの学校に連れて行きました。
しかし、人間は一旦どん底に落ちるとなかなか抜け出せないものです。
修養科で、「人間の体は神から借りたもので、心だけが自分の思いのままになるから、心を磨かなければならない」、「人助けをすることで皆が陽気に暮らせる地上の天国を創る」という理念について学びました。しかし、私は母が言うから仕方なしに、修養科に行っただけで、きちんと教えの意味をわかっていませんでした。
今思うと、当時の私は余裕がなく、自分の心配ばかりで、神様が自分に与えてくださっているものに感謝して満足するどころか、自分の将来を悲観してくよくよしていました。人を助けるどころか、自分がいつも何か人にしてもらうことばかり求めていました。

その後、大学を中退して松江に帰ったのですが、自分に余裕がなく人間関係がうまくいかなくて、短いアルバイトを転々としました。
父も母もわが子がうまくいっていないので、毎日ため息ばかりついて苦しんでいるのが分かりました。まさに私は両親のお荷物といってもいい状況でした。

そのとき、私がしみじみ思ったのは、「たとえ人に利用されてもいいから、人に必要とされる人になりたい。世の中の役に立つ人間になりたい」ということでした。
このとき、人助けについての教えがじわじわと私に染みていきました。

天理教では「ひのきしん」といって善行やボランティア活動をするよう推奨されていて、通常、公衆トイレの掃除や公共の場の草取りなどをします。私は掃除が苦手ですので、公衆トイレの掃除は長続きしそうもありませんでした。私は自分のできること、続けられることから「ひのきしん」をすることにしました。

そして、それから私は「人に惜しみなく情報をあげること」、「観光ガイドをして人を楽しませてあげること」、「人のまとめ役をしてお世話すること」といったことに取り組むことになります。

私の最初の結婚では、中国に留学経験のある針灸師の人と結婚しました。
この最初の夫は、中国医学書の翻訳もしていて、針灸の技術の高い人でした。
ぎっくり腰は1回、腰痛は3回くらいで治してしまうので、あまり儲からなくて裕福ではありませんでしたが、患者さんにはとても喜ばれていました。

そんな中で、せっかく高い技術があるのに、万一夫が早く死ぬことがあったら、その技術は永遠に失われてしまうと思い、針灸技術をホームページで公開するよう夫に勧め、私がホームページを作りました。
針灸学校の学生さんたちが、このホームページを見て、元夫の針灸院にやってきて研修し、のれん分けして北京堂という名前で全国に開業していきました。現在、北京堂式の治療方法の治療院は全国に30店舗くらいあります。

ここまで言うとサクセスストーリーのように聞こえるのですが、現実はそんなに甘くなく、私自身は夫とケンカして離婚してしまいました。

ただ私自身も、夫の仕事を手伝う傍ら、中国語と英語の医学翻訳に従事して、中国語・英語・日本語の三か国語の医学用語集や統計用語集をホームページに公開しました。
当時、中国語医学翻訳の黎明期でしたので、まだきちんとした辞書がなく、けっこう人に喜ばれたみたいで、製薬会社や化粧品会社からホームページを通じて仕事を頼まれたりしました。

離婚後15年くらい在宅の仕事をして、少人数の人としか会わない生活が続きましたが、最近の5年くらいは地元松江で自分の仲間を作ることを目標にして、外に出て人と付き合うようにしています。

現在、外国人向けのボランティアガイドの会の会長をしたり、市民活動の支援組織の副会長をしたりして、仲間がたくさんできました。

かつて、本で読んだ言葉で感銘を受けた言葉があります。
正確に覚えてはいないのですが、こんな内容だったと思います。
「人に頼って寄りかかっていては人生が安定しないが、みずからが人を助けて四方から人に寄りかかられれば、柱の四方に支柱があるのと同じで人生は安定する」
私が自分のことばかり考えているとき、周りに人は寄ってきませんでしたが、自分が人を助ける気持ちを持ったとき、人に囲まれるようになりました。

私は今、大勢の人に囲まれて幸せです。
自分の紆余曲折のある人生をとおして、私は「情けは人のためならず(人に情けをかけることは、自分自身によい報いをもたらす)」を実際に経験しました。
日本は利他の精神の強い国ですので、そのような精神を世界に拡げていきたいと心から思います。

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肩書・その他 翻訳者、松江市観光グッドウィルガイド連絡会 会長 まつえ市民活動支援協議会 副会長
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