2022/7/27
江戸川区「平井」の地名の由来(金井たかしの「江戸川区情報」)(筆者金井たかしのプロフィール)
私が江戸川区において居住したことのある地域の地名を初めとして地名の由来を調べてきていて、江戸川区の地名の由来をいろいろと調べてきていますが、まだ、「平井」の地名の由来については調べていませんでした。今回は、「平井」の地名の由来を調べてみることにします。
「平井」の地名の由来について、インターネットの検索では記載がすぐに見つからないものでしたが、「平井」の地名の由来について文献での記載がありました。
まず、金子勤『東京23区の地名の由来』(幻冬舎 2016年)32頁では「応永5年(1398年)、『平江』と見える。室町戦国時代(1467年~)には平井となる。由来は入江であったから。」と簡単ですが説明がなされています。
また、江戸川区の公式な文献である『江戸川区史 通史編』(第1巻)911~912頁では、『葛西御厨注文』(1395年)という文献の中で、「下平井」という村が記載されていることが説明されています。そして、「下平江 平江は後に平井になった。入江であり、飲料水のくみ場であった。上平井と下平井の両村であったが後世中平井村が分村している。」と説明がされています。
他に、葛飾区の公式サイトの「子ども葛飾区史」「かつてあった地名の由来」の中で「上平井 1966(昭和41)年までは、『平井中町』という地名がありました。現在の新小岩・西新小岩の一部にあたります。また、1968(昭和43)年までは『上平井町』という地名がありました。現在の東新小岩・西新小岩・奥戸の一部にあたります。もともとは、『上平江』という地名で、約620年前の室町時代の資料に出てくる古い地名です。『平江』という名前は、この辺りが、入江のような地形だったことからつけられたといわれています。その後、約460年前の戦国時代に『上平井』に変わりました。」と解説がなされています。ここで記載されている室町時代の資料は『葛西御厨注文』のことのようです。
「平井」の地名に関して、江戸川区の文献では「下平井」に言及されていて、葛飾区の公式サイトでは「上平井」に言及されています。この「上平井」については、私の両親の本籍地が葛飾区東新小岩(住居表示前は「下小松町」)で、私が幼稚園に入る前まで両親は「上平井」の近くの東新小岩(下小松町)で住んでいて、両親の友人が「上平井」にいたため、子どもの頃、よく「上平井」という地名を聞いていたことを思い出しました。
江戸川区の「下平井」という地名の元の「平江」という地名の由来は、入江があったことにちなむものであることがわかりました。そして、この「平井」という地名も少なくとも約600年前から存在する地名ということもわかりました。ただ、「上」や「下」が付かない「平井」という地名は、昭和7年10月に市郡合併により南葛飾郡が廃止されて江戸川区が誕生したのと同時に区域の整理や町名の変更が行われた際に新町名として「平井」という名称が生まれたものです(『江戸川地名の変遷とその集解』「八、明治以降の管轄の変更と町村名について」に記載があります)。このような歴史がある「平井」という名称なので、できるだけ残していくべき名称であると思います。(筆者金井たかしのプロフィール)
弁護士 金井高志(金井たかし)
(江戸川区在住 弁護士 武蔵野大学[江東区]法学部・大学院教授)
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