2024/6/8
長野県駒ケ根市で、旧日本陸軍「登戸研究所」が第2次世界大戦末期に地域の関係者あてに発行した公式文書が市内の民家から初めて発見されました。上伊那地域の住民らでつくる登戸研究所調査研究会(小木曽伸一共同代表)は、「約50人の住民たちが、缶詰爆弾の製造や戦後の処分体験を語った証言の裏付けとなりうるもので大変貴重な史料」と語っています。(長野県・水野力夫)
「登戸研究所」は、旧日本陸軍が秘密戦(防諜〈ぼうちょう〉・諜報・謀略・宣伝)のための兵器や資材を研究・開発していた機関です。「本土決戦」準備と連動した松代大本営(現・長野市)の建設に伴い、川崎市から上伊那、中信など各地方に疎開していました。
現在の駒ケ根市にあった中澤国民学校内に設けた「中澤製造所」では、遊撃戦用の簡便な携帯兵器として、粘土状の爆薬を詰めた「缶詰爆弾」を製造。児童ら約500人を動員したことが学校日誌に記録されています。
今回発見された文書は、昭和20(1945)年6月4日、赤穂郵便局長あてに登戸研究所の篠田鐐所長名で送った懇親会の案内状です。封筒の裏面には毛筆で「中澤製造所」と記載されています。
文書には、「当所の一部を上伊那地方へ疎開に当たりては当地方関係官の格別なる御援助御協力を賜り以御蔭着々所期の目的を達成しつゝある」とつづられています。懇親会場は「中澤村中澤国民学校内 陸軍登戸研究所中澤製造所」で、施設の一部案内と懇談会食を行うと記しています。
5月16日に同会代表ら3人が会見を開きました。小木曽代表は、関係資料のほとんどが焼却処分されたなか、「登戸研究所が上伊那に疎開していた事実がこの文書によってはっきりした」と強調。文書に書かれていた「所期の目的」について、「本土決戦に向けて大本営を守るための遊撃戦(ゲリラ戦)を想定した缶詰爆弾(対戦車用手りゅう弾)の製造だったと推測される」と語りました。
同会は、4月に関係親族から遺品整理中に発見したと手紙を添えて連絡が入り調査分析。公開することで「新たな糸口にしたい」とさらなる資料の発掘へ協力を呼びかけています。
今秋ごろまでに駒ケ根市民俗資料館内に「登戸研究所平和資料館」の開設をめざし、この文書についても常設展示を予定しています。
しんぶん赤旗より
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