2025/6/1
衆議院東京24区から出馬予定の深田萌絵氏が、同区選出の萩生田光一衆議院議員より刑事告訴されたとのことです。
それを受けて泣いているようでした。本当につらいことでしょう。
しかし政治活動をする以上、それなりの覚悟も必要です。
私が思うに、深田萌絵氏と萩生田光一議員の対立のような政治的・個人的な衝突は、国民にとって直接的な利益をもたらすことは少なく、むしろ分断や混乱を招くことが多いです。
悪事を告発する政治や個人攻撃は、政策議論や国民生活の改善に焦点を当てる時間を奪います。
深田氏の「売国奴」などの過激な発言や、萩生田氏の刑事告訴は、双方がエネルギーを対立に費やし、建設的な議論が進まない状況を生んでいます。
お互いに頭を冷やして、それぞれ誠実になり、国民に向かって問いかけることが望ましいでしょう。
こうした対立は、主権者たる国民の政治不信をさらに深めるリスクがあります。
深田氏の陰謀論的発言は一部の支持を集める一方、根拠の乏しさから信頼性を損ない、萩生田氏への攻撃も政治全体への不信感を助長する可能性があります。
このような対立は国民にとっては利益がありません。
外側の諸現象に惑わされ、自らの軸をなくしているからだと思います。悪事を叩く政治ばかりしていることが問題です。
もちろん悪事を見過ごせないのはわかりますが、悪事を働いていると踏んだ政治家に挑んだ以上、泣きを見るのはどうかとも思います。
【自らの軸を作った政治活動を】
「自らの軸をなくす」という点は重要です。深田氏のような個人や政治家が、感情的な対立や目先の注目に囚われると、本来の目的、すなわち野党としての立場ならば、どのように今の国政を正していくのかという訴えが曖昧になり、単なるパフォーマンスに終始する危険があります。
深田氏には深田氏の軸が本来あるはずで、敵候補の軸に巻き込まれていては物事は実現しないのではないでしょうか。
政治家の不正や問題を指摘することは民主主義において重要ですが、深田氏のように具体的な証拠が乏しいまま過激な主張を繰り返すと、逆効果になる場合があります。
2024年の訴訟で深田氏側が敗訴した例や、萩生田氏の刑事告訴に見られるように、法的・社会的な反発を受けるリスクは高いです。
私自身も気を付けたいと思っています。おそらく無名の私にとっては何の問題もないようですが、自らの腹を常に怠ることなく確認をしていきます。しかし、その前にやはり悪事を叩くだけでなく、国民が求める政策やビジョンを提示する政治が求められるのではないでしょうか。
【選挙が始まっていないのに選挙妨害とは?】
深田氏が涙ながらに「選挙妨害」を訴えたことは、彼女の支持者には共感を呼ぶかもしれませんが、客観的には「挑発の結果」と見られがちです。政治家に挑む際、相応の準備(証拠、論理、戦略)がないと、個人としてのダメージが大きくなるのは避けられません。これは、彼女が「自らの軸」を明確に持たず、感情的な対立に流された可能性はあるのではないかと思います。
同様に、萩生田氏も、裏金問題や統一教会との関係への明確な説明責任を果たすことで、信頼回復に努めるべきです。
どうしてこういうことになるかと言えば、YouTube動画などでは政治家の批判をするとウケるからだと思います。明るい未来を提示することよりも、人の悪口のほうが国民受けは良いのです。これは国民のレベルを表しているからでしょう。これは国民の関心やメディアの構造、そして社会心理の反映と言えます。
悪口や批判は、怒りや不満といった強い感情を引き出しやすく、視聴者の共感や反応を得やすいです。
特に、政治不信が高まる中、深田萌絵氏のような過激な発言(「売国奴」「裏金議員」など)は、既存の政治家への不満を代弁する形となり、クリックや再生数を稼ぎます。
一方、明るい未来の提示は具体的で論理的な議論が必要で、即時的な「ウケ」は得にくいのです。それは私のブログのアクセス数などを分析しているとよくわかります。
YouTubeやXなどのプラットフォームは、注目を集めるコンテンツ(特に感情を刺激するもの)を優先的に表示する傾向があります。政治家批判や陰謀論は、コメントやシェアを誘発しやすく、アルゴリズムが拡散を後押しします。
深田氏の「#ハギューダトライアングル」などのキャッチーなフレーズは、この仕組みを巧みに利用していると言えます。
自民党の裏金問題や統一教会問題など、政治への不信感が根強い中、国民は「悪を暴く」コンテンツに惹かれがちです。
政治がエンターテインメント化し、複雑な政策議論より単純な「悪者叩き」が受け入れられやすい状況があります。
これは、国民の一部が短期的な感情発散を求める傾向を反映しているかもしれません。
自民党の裏金問題や統一教会問題など、政治への不信感が根強い中、国民は「悪を暴く」コンテンツに惹かれがちです。
政治がエンターテインメント化し、複雑な政策議論より単純な「悪者叩き」が受け入れられやすい状況があります。これは、国民の一部が短期的な感情発散を求める傾向を反映しているかもしれません。
そのような国民レベルが、低レベルの政治家を生み、そしてまた国民が苦しむというサイクルを繰り返しているのではないでしょうか。
国民の投票行動が政治家を選びますが、過激な批判や感情的な訴求に流されやすい状況では、目立つパフォーマンスやスキャンダル叩きをする候補者が注目を集めがちです。深田氏のような過激な発言で支持を集めるケースは、こうした傾向の一例です。
一方、萩生田氏のような既存政治家も、国民の不信感に応える透明性や政策の質で信頼を築けていない場合、批判の対象となりサイクルを強化している気がします。
不祥事や説明不足ばかり行う政治家が選ばれると、裏金問題や統一教会問題のようなスキャンダルが続き、国民の政治不信が深まります。
これが、深田氏のような「告発型」の人物が台頭する土壌を作り、さらなる対立や分断を生みます。
このようなサイクルを断ち切るには、国民が感情的な批判やエンタメ化した政治に流されず、政策や実績で政治家を評価する姿勢が重要です。
情報リテラシーを高め、一次情報(例:公的記録、政策文書)を基に判断する習慣が必要です。
「国民レベル」と「低レベルの政治家」が互いを生み出し、国民が苦しむサイクルが存在します。深田氏と萩生田氏の対立は、このサイクルの縮図であり、感情的な対立や証拠不足の告発、説明不足の政治家が問題を悪化させています。このサイクルを断ち切るには、国民の情報リテラシー向上、政治家の透明性、メディア環境の改善が不可欠です。
私もこのような政治とカネ問題を解決するにあたっては、「減価する通貨」で解決できると主張していますが、そんな内容よりもスキャンダラスな方向に国民は関心を持つために大変苦労しているところです。みなさまのご協力をぜひお願いいたします。
意識や思考がエネルギーを持ち、ポジティブな思考は良い結果を、ネガティブな思考は悪い結果を引き寄せるという考えが古代よりあります。科学的根拠は限定的でありますが、心理学では「焦点効果」(focusing effect)や「選択的注意」(selective attention)が関連し、意識した事柄に注意が向き、行動や結果に影響を与えることとなっています。
たしかに、楽観的な人は成功の機会を見つけやすく、悲観的な人は失敗に注目しがちな部分はあるでしょう。
社会問題に対して、批判的にフォーカスすると、怒りや不信感が増幅し、建設的な解決策を見逃すのではないかということです。
XやYouTubeで批判的な投稿が拡散すると、国民の不満や恐怖が強化され、ポピュリズムが助長されます。これが「低レベル政治家と国民」のサイクルを悪化させているのだと思います。
批判にフォーカスすると、解決策への意識が薄れ、ポピュリズム政治家が注目を集めることとなります。
ポジティブなフォーカスは、建設的な行動を引きだすというのが心理学の「目標設定理論」とのことです。
「目標設定理論」とは、目標が人のモチベーションに及ぼす効果について着目した理論のこと。1968年に米国の心理学者エドウィン・ロック氏が提唱しました。本人が納得している目標に関して言えば、曖昧な目標より具体的で測定可能な目標のほうが、また、簡単に達成できる目標より難易度の高い目標のほうがモチベーションを高め、高い成果をあげることがわかっています。「MBO(Management by Objective)」などの理論的背景として説明されることが多く、職場に取り入れることで従業員の貢献意欲を強化し、成果へとつなげることができるとされています。
これには個人と社会の意識トレーニングが必要かもしれません。心理学の「認知リフレーミング」と言われます。
「リフレーミング」とは、理想的な状態に向かうために、ものごとを認知する枠組みを別の枠組みで捉え直すことをいいます。
問題をポジティブに再定義すると、解決策が見えやすくなります。国民の意識が建設的に変われば、政治家のポピュリズムも減ることでしょう。
萩が生まれやすい田んぼは日当たりが良く、水はけの良い土壌を好みます。
深い田んぼは、水が深く、泥が豊富な田んぼを指します。
表面は萩生田、地下は深田といったところです。
地面に萩が生き生きとできる田んぼも、泥が豊富な深い田んぼがそれに栄養を与えるわけです。
というわけで仲良くやってください。
とにかく今の国政は田んぼのお米をどうするかというのが緊急課題なんですから。
https://forms.gle/gZ84SUL4kbQThBTY9
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