2019/11/14
【南部盛岡~浅田次郎『壬生義士伝』の舞台~】
霜月十三日、通院(歯科口腔外科)のため盛岡へ。先週木・金曜日は監査委員の研修、今週月曜日は市議会議長会の研修、水曜日は通院と、今月に入って三回目の盛岡になりました。今月は定期監査があり、歯根破折の後の骨造成(今の再生医療の技術進化には驚き!)、頸椎ヘルニア、とにもかくにも治療の時間確保が至難。午前中に仕事をこなし、陸前高田から最短の時間で盛岡での午後の診察に間に合うように、花巻から新幹線に乗るのですが、この日は、良く晴れた初冬の空の下、新花巻駅のホームから美しい岩手山が見えました。南部片富士とも称される岩手山は、岩手県に生まれ育った人の多くが誇る、忘れ得ぬ美しいふるさとの風景の一つではないかと思っています。
“拙者の生まれは南部盛岡。それは美しいとこでござんす。南に遠く早池峰山。西は南昌山に東根山。北のお山は岩手山、姫神山。ぐるりを高い山々に囲まれて、城下を流れる中津川は桜の馬場の下で北上川と合流致しやす。いやぁ、こったに絵に描いたような美しい土地は日の本に二つとなござんす。”
浅田次郎さんの小説が原作で映画化された『壬生義士伝』で、南部の脱藩浪士で新選組に入ったばかりの主人公:吉村貫一郎が、初めて会った斎藤一に酌をしながら語った“お国自慢”が城下町盛岡の風景でした。
私が生まれ育った陸前高田市は、盛岡市と同じ岩手県ながら、江戸時代は仙台藩の直轄地であり、お殿様は伊達公、言葉も文化も仙台圏に属しますが、「岩手県民」としてのアイデンティティの拠り所の一つは県庁所在地である盛岡の風景、そして、岩手山。だから、東京での日常のなかで辛いことがあったとき、踏ん張らなければならないとき、この『壬生義士伝』を思い出して、「冬は必ず春となる」と、深深と空から降ってくる雪が桜の花びら舞う季節に変わることを心に強く思い描いて過ごしてきました。
“南部盛岡は江戸から百四十里。奥州街道の果てゆえ、西国の如く実りはありもうさぬ。おぬしらが豊かな西国の子らに伍して身を立て国を保つのは並大抵のことではねぞ。盛岡の桜は石を割って咲ぐ。盛岡の辛夷は北さ向いでも咲ぐのす。んだば、おぬしらもぬくぬくと春が来るのを待ってねで石を割って咲げ。世にも人にも先駆けて、あっぱれ、花っこ咲かせてみろ。”
藩校の助教を務めていた吉村貫一郎が、明義堂で南部藩士の子どもたちに向かって語りかけていたことは、岩手に生まれ育った人ならば誰の心にも響く言葉ではないか・・・とも惟います。
盛岡の美しい風景のみならず、吉村貫一郎という主人公の生き方を通して、何ものにも阿ない岩手の人の気風を描いた浅田次郎さんの小説をお供に、初冬の盛岡を歩く旅など如何でしょうか。
今、国指定記念物(史跡)盛岡城跡の第40次の発掘調査で本丸天守台などの調査が行われており、九日に現地説明会がありました。まだ発掘調査をしている天守台の見学ができるようで、石垣の近くに案内掲示がありました。日が落ちる夕方5時近くから石垣のライトアップもされています。
東京から東北新幹線はやぶさ号に乗って2時間20分程で盛岡です。日帰りも可能。
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