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部谷 翔大 ブログ

学校の制服、私服について考える!

2020/9/8

 

山口市内の小学校は現在制服の学校と私服の学校が混在している。先日私服の小学校において、服装に関しての規則が厳しくなるという話が出回り、この際制服にするべきだ。私服を学校が規制すべきではないなど、様々な意見が寄せられました。

結果として、その話は現状何も決まっていない話だったのですが、この機会に学校における制服について考えてみたいと思います。

 

1.制服とは何か?

・制服の始まり

もともとスタートは学習院が軍服を模して1870年頃にスタート

その後、帝国大学(今の東京大学)が制服を定めた。

いま以上に帝国大学は社会のエリートが集まる学校であり、憧れであり、ブランドであった。

その帝国大学の制服も同時に憧憬の対象となり、全国各地の中学校や高校での

制服制定のうねりを作り出した。

 

つまり当時の制服というのは皆が着用出来るわけではなく、社会階級を表すものであり、選ばれた人間しか(戦前の高等学校への進学率は1%を超えることはなかった。)着ることの出来ない特別なものであった。

 

・制服の大衆化

その後大正、昭和にかけ洋服の普及に伴い、制服も大衆化した。

憧憬から、一般化したことにより、それが当たり前になっていった。

(貧富を隠すため、平等の為一般化したという理由もあると指摘されている)

 

この当たり前と、平等が合わさり、その後制服に関しては誰も疑問を抱かず日本の文化となっていた。

 

 

2.社会発展と教育の親和

また大正〜昭和の時代は工業中心社会であり、戦前は戦争の時代である。そうした中において求められる人材は個人の能力特性よりも、マニュアルに沿って指示された事をこなす画一的な人間である。

そうした人材が求められる時代と没個性の時代において平等(画一的)な制服は非常に親和性が高かった。

それが、日本における制服に関しての当たり前に拍車をかけたのではないだろうか。

 

 

3.個性と幸福の多様化

・制服着用の理由が無くなってきている。

そうした制服が当たり前の時代においては、学校教育でいい点数を取る事と、社会における自己実現が一致していた。

端的に言うと学校でいい点数を取れば、いい会社に入り、いい生活が出来るという形で学校と社会がリンクしていた。

つまり学校における制服に関して問題提起が行われる事はなかった。

 

しかし時代は変化し、学校教育と社会における活躍がリンクしなくなってきた。

また貧富の差も縮小し、日本全体が裕福になってきた。また誰もが着用出来るという事もあり制服に対する憧憬も皆無になってきた。

つまり学校における制服を着用する理由が徐々に無くなってきている。

 

・私服の必要性がむしろ増えてきている

近年はむしろ、個性の時代、多様性の時代、答えのない時代ということでむしろ私服である必要性のほうが論理的であると考える。

 

①人は見た目で決まる

ベストセラーのタイトル「人は見た目が9割」というように人は見た目が非常に大事である。しかし現在の学校カリキュラムにおいては外見の見せ方を教える事はない。ついては自分自身でみかがなくてはならない。そうしたことから幼少期より、自身の見た目を差別化しよく見せるという訓練が必要である。それが制服であると横並びであるが故その訓練機能が発揮されにくい

 

②規則で縛ることは責任を転換してしまう

ルールを作って規則を作ってしまったら何かあればそのルールを作った側に責任を押し付けてしまう。ルールに従ってるのになんでうまく行かないの?と自身の失敗や不幸を他のせいにしてしまう。しかし社会に出たら自分で責任を取らなければならない。

 

③社会で成功する為には自身で考える力が必要

先程も述べたが、学校での成功と社会での成功が一致していない。今後教育においても一方的に情報を与えられ記憶するだけでは社会での成功はない。すでに自ら考え自ら選び取るという形に学校教育はなってきている。そうした中、服装に関しても勉強にふさわしい服、失礼がない服、その中でどう自己表現するか。かっこよく可愛く見せるのかを自身で学ぶ必要がある。社会に出れば誰も正解を教えてくれないのだから。

 

④没個性から個性強調の時代へ

社会において価値観、仕事など様々な事が多様化している。そうした時代において、必要なのはルールを守る力ではなく、どうやって新しいルールを作るかである。新しいルールを作る人間は総じていわゆる変わり者と言われるものが多い。

日本は経済において新しいルールを近年作りきれていない。それは画一的な人材教育に問題があると言われている。スマホは作れたのに発想がなかったというのが一番の好例かもしれない。そうした状態を脱出し様々な個性があふれる国にするためには、画一、均一的な制服からの脱却が一番の象徴であり必要ではないだろうか。

 

 

以上様々申し上げましたが、

今まで制服が当たり前だったのが、むしろ私服にするべき時代が来ていると個人的には考えています。当然制服には制服のいいところがございます。答えはありませんので、皆様も是非ご家庭で話し合ってみていただけると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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著者

部谷 翔大

部谷 翔大

選挙 山口市議会議員選挙 (2018/04/15) [当選] 2,084 票
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山口市議会議員選挙

肩書・その他 国民民主党全国青年委員長 女子軟式野球チーム山口ガールズ代表
党派・会派 無所属

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