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瀬戸 健一郎 ブログ

今、思うこと。~75年目の終戦の日を迎えて

2020/8/15

1945年(昭和20年)8月15日(水)正午、天皇陛下の玉音放送によって、大日本帝国政府がポツダム宣言の受諾と降伏決定を国民に伝えました。ポツダム宣言の受諾は8月14日(火)であり、陸海軍への停戦命令は8月16日(木)でありましたが、私たちは丁度75年前の今日、8月15日をもって終戦の日と定めたわけです。

私は今、この日を英国で迎えていますが、第二次世界大戦と呼ばれたあの戦争において、最後まで抗戦し続けた大日本帝国の降伏による大戦の終結はこちらではあまり報道されません。もちろん、ヨーロッパにとってかの戦争は英国とドイツの戦争だったわけですから、ドイツの降伏によって、彼らの戦争が終わったという意義が大きいのですが、英国は一応、8月15日をVJデイ(Victory over Japan Day)と認識してはいるものの、この日を終戦の日と定めているのは我が国だけかもしれません。

米国では、日本がポツダム宣言を受諾した8月14日に日本の降伏が報道されたものの、トルーマン大統領は「大日本帝国が正式に降伏文書に調印するまではVJデイは待たなければならない。」と発言し、同年9月2日(日)、降伏文書の調印を以ってVJデイとすると、トルーマン大統領はラジオ演説で宣言しました。つまり、米国において対日戦争の終戦の日は、1945年8月15日(水)ではなく、1945年9月2日(日)と定めているのです。

ロシアも紆余曲折はあったものの、米国と同様に9月2日を「第二次世界大戦終結の日」としており、中国は日本の降伏文書調印の日の翌日から3日間、抗日戦争勝利記念の休暇としたことなどから、9月3日を「対日戦争勝利記念日」としています。

一方、現在の韓国と北朝鮮は1945年9月2日(日)に日本が降伏文書に調印した時点を以って、正式に日本の統治から外されたものの、日本の終戦の日と同様に8月15日を韓国は「光復節」として、北朝鮮は「解放記念日」として、それぞれ定めています。

さて、75年が経過し、本来、世界の唯一の被爆国として真っ先に核兵器禁止条約を批准すべき我が国はこの条約を批准していません。核廃絶の世界世論がこれほど長きに亘って拡がりを診せているのに、いまだに米国や米国人の多くが広島と長崎への核攻撃は戦争終結のために必要であったと信じ、そう主張し続けています。

この根拠のひとつとなっているのが、言語や文化の行き違いにあったとしたら、国際相互理解の推進が戦争の不幸な事態を回避する一助になったかもしれません。それがポツダム宣言の受諾のタイミングにあった可能性があると私は考えています。

ポツダム宣言が起草され、大日本帝国に通達されたのはベルリン時間(ポツダム時間)1945年7月26日(木)午後10時、東京時間では同月27日(金)午前5時でした。実に宣言の発表から20分後に日本に伝達されました。これに対し、大日本帝国政府は同日27日(金)に論評を加えずに宣言の存在を公表。これを受けて、翌28日(土)には新聞各紙が「笑止千万」などといった論調で報道。同日、政府はポツダム宣言を「黙殺」すると決定し、翌29日(日)にこれを朝日新聞が「政府は黙殺」と報道するに至ります。

「黙殺」というのは、「無かったことにする」というニュアンスを持つ、日本語特有の言葉であり、状況がひっ迫したり緊迫した場面で日本人は「黙して語らず」という態度で安易な発言で事態を悪化させないことを意図した姿勢や態度を決めるわけです。長年に亘り世界中を相手に戦ってきた大日本帝国がいかに戦争を終結させていくかは大問題であるわけですが、この「黙殺」を日本の国家代表メディアである同盟通信が「ignore」(無視する)と翻訳し、これをロイター通信とAP通信が「reject」(拒否する)と翻訳して、世界に報道してしまいました。

私ならば、「黙殺」は「remain silence」(沈黙する)とその場に居れば、翻訳していたと思います。伝言ゲームのように、少しずつ言葉のニュアンスが変わっていき、連合軍は「日本はポツダム宣言を拒否すると3日目に回答してきた」と解釈されたかもしれません。いえ、もっと深読みをするとすれば、そのように意図的に米国は「黙殺」を「拒否」(Reject)と解釈し、完成した原子爆弾を使用する口実にしたのかもしれません。

いずれにしても、当時の日本政府の中に、「黙殺」という日本独特な言い回しを重要なこととして、きちんと翻訳して連合国に伝える使命を担う人材が中枢部には居なかったのではないかと疑義を禁じ得ません。このような大事な場面で大事なメッセージを相手に誤って伝える危険性、それ以上に、相手に意図的に曲解されてしまう危険性を回避することができないとしたら、外交が果たすべき役割が十分でなかったと断じざるを得ないと私は残念に思います。

トルーマン大統領は、任期途中で急逝したルーズベルト大統領から大統領職を受け継ぎ、副大統領としては全く知り得なかった原子力爆弾の開発計画を聞かされて驚愕しました。既に完成した最新兵器を対日戦争終結のために使いたいという開発者たちの熱情に押されたことだと思いますし、まだ就任したばかりの新人大統領として、「大統領としての命令」(Excecutive Decision)を下さなければ、自分の威厳が保てないと感じていたかもしれません。

歴史や勝負に「もしも」はありませんが、あえて言えば、もしも7月27日のポツダム宣言通達にせめて「検討する」(considering)とでも返して、具体的な終戦処理の協議に入る決断をしていれば、日本人が人類初の核兵器のモルモットにされることは避けられたでしょうか。いや、それでも米国は日本人をターゲットに原爆の人体実験を断行したでしょうか。せめて私が信じたいと思うのは、広島と長崎への原爆投下の効果を直視したトルーマン大統領が自分の原爆投下の大統領命令を恐ろしいことをしてしまったと一抹の後悔の念を持ったのではないかということです。

その後、占領下の日本(Occupied Japan=当時作られた陶磁器などにそう刻印されています)を統治したダグラス・マッカーサー元帥が、朝鮮戦争で原爆の使用許可を求めた時、トルーマン大統領は激憤したと言われています。その後、彼はマッカーサー元帥を罷免し、マッカーサー元帥は帰国後の議会演説で「老兵はただ消え去るのみ」という名演説を残して勇退します。

75年目の終戦の日を英国で迎えるにあたり、実際の時差の中で生活しながら、75年前にポツダムでいかに文書が決定され、日本に通達され、それを受け取った当時の日本政府がどのようにそれを受け止め、大本営発表と括られるような当時の日本の報道機関が動き、世界メディアがそれを取り上げ、連合軍がさらにそれを解釈して、原爆投下に至ったのか。これを考えずにはおられませんでした。7月下旬にポツダム宣言が伝達されて、たった二週間余りで我が同胞は天皇陛下の玉音放送で戦争の終結を知らされます。このたった二週間余りの中で、人類史上、最大の汚点となる原爆投下が広島と長崎で決行されたわけです。

世界が第二次世界大戦の終結を祝うのは、またここから二週間あまり後の9月2日になるということも、合わせて皆様と共通認識に立ち、あの戦争で犠牲となった多くの人々への哀悼の誠を捧げたいと思います。

「平和をつくるものは幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」(聖書)

瀬戸健一郎

英国エセックス大学政治理論修士課程在籍

 

 

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著者

瀬戸 健一郎

瀬戸 健一郎

選挙 第23回参議院議員選挙 (2013/07/04)
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肩書・その他 日本マルタ友好協会会長、日本CBMC副理事長、コムリサーチ合同会社代表社員、内外情勢フォーラム代表
党派・会派 日本維新の会

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