2025/4/25
個人の自立と合理性を徹底的に追求し、国家は個人を守る手段と位置付けた元祖維新はどこに行ったのやら。
家族を大切にすることを憲法に書き込もうとしていたメンバーが中心の維新国会議員は、いつの間にやら保守気取りの飲み食い集団に変わり果ててしまった。…— 橋下徹 (@hashimoto_lo) April 24, 2025
横から失礼します(どこからか現れた一般人です)。
維新の選択的夫婦別姓案では、戸籍上は併記となるものの、通称使用を選択した場合には本名(戸籍名)の使用は制限される≒法的効力をほとんど失う制度設計になっているはずです。
なのでご指摘のような、ダブルネームで実務に混乱が生じることはありません。
※最新の法案で違っていたら現職の方が訂正してください。
>「単なる手続き的な管理簿である戸籍」「管理簿上の氏の一体性を守ることに何の意味があるのか」
橋下さんのおっしゃることは論理的にはとても理解できますし、その考え・感覚を私も共有します。
一方で、そうは捉えていない方が日本には大勢いることも事実であり、「単なる手続き的な管理簿」と言い切るには戸籍制度は日本に定着しすぎました。「天皇陛下の臣民簿」という歴史的側面も完全に無視することはできません。
明治から昭和の時代を通じて、どれだけ日本人に「戸籍」とその一体性が肌身として定着し、またそこに深い意味合いを感じる人が多くなったのかは
『日本の家族と戸籍-なぜ「夫婦と未婚の子」単位なのか-(東京大学出版会,2019)』
で詳しく分析されている通りです。
>「手続的な管理簿である戸籍上の氏に固執する世間の誤解があるのならそれを正していく。 それが元祖維新」
>「個人の自立と合理性を徹底的に追求し、国家は個人を守る手段と位置付けた元祖維新」
このご指摘も非常に重く鋭いものです。
ただし、戸籍に対する多くの国民の考え・愛着は「誤解」と一刀両断するにはあまりにも重く、それゆえに四半世紀に渡って選択的夫婦別姓の議論は停滞し、実際に困っている人たちの悩みを解消することが既存の政治家たちにはできませんでした。
合理性とともに「今よりもマシな、一歩でも前に進む結論を得る」こともまた維新の精神であるとするならば、折衷案のようでも「確実に身が取れる」維新案を採択することは十分に合理的な判断であり、維新の考えに合致するものではないでしょうか。
※以上は個人の見解であり、特定の党派を代表するものではありません
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