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老衰で死去。元内閣総理大臣・羽田孜(はた つとむ)氏の輝かしい経歴・人柄は?

2017/8/29

選挙ドットコム編集部

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羽田孜元首相が8月28日に老衰のため82歳で死去しました。

1994年には第80代内閣総理大臣に就任。2012年に政界を引退後は、民進党長野県連名誉顧問を務めていました。

衆議院議員・武嗣郎氏を父に持つ羽田孜氏

羽田孜氏は1935年8月24日、東京府東京市蒲田区(現 東京都大田区蒲田)の生まれで享年82歳です。

父・武嗣郎氏は新聞記者を経て衆議院議員になりました。羽田孜氏は、第二延山小学校、上田第二中学校、成城学園高等学校を卒業後、1954年に成城大学経済学部に進学。1958年に同大学を卒業後、小田急バスに入社しました。観光課に配属されますが、父の病気を期に後援会から政界入りを打診され、1968年に小田急バスを退職しました。

政界入り後、実力を蓄える

1969年の第32回衆議院議員総選挙では旧長野2区から自民党公認候補として出馬し、得票数73,325票を得てトップ当選します。その後羽田氏は、連続当選14回を果たしています。

自民党では田中派に所属し、郵政政務次官を経て農林政務次官に就任。その後、衆議院農林水産委員長、自民党林政調査会長、総合農政調査会長などを歴任します。1985年の第2次中曽根再改造内閣では、農林水産大臣として初入閣しました。

1988年の竹下改造内閣では農林水産大臣に就任、1991年の宮澤内閣では大蔵大臣として入閣するなど、要職を歴任しました。

1993年には自民党を離党し、新生党を結成し、党首に就任しました。新党ブームで新生党は55議席を獲得し、1993年の細川内閣では、副総理兼外務大臣として入閣しました。

羽田内閣の発足から民主党へ

1994年の細川内閣退陣後、羽田氏は新生党党首として第80代内閣総理大臣に指名されます。しかし、平成6年度の予算成立後に自民党が内閣不信任決議案を提出。羽田内閣は総辞職します。在職期間が64日という、現行憲法下では最短の短命内閣となりました。

1994年には新進党が結党され、羽田氏は副党首に就任しました。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、長野3区から小選挙区1本で出馬。圧勝するも、新進党を離党後は太陽党を結成し、党首に就任しました。1998年には民政党を結党し、代表に就任します。

その後、民主党が結党され、羽田氏は初代幹事長に就任します。2000年には民主党特別代表に就任。2002年・2009年には民主党最高顧問に就任しました。2009年の民主党による政権交代では、首班指名投票に参加。体調不良のため、小沢一郎氏に支えられながら投票を行いました。

2012年に政界引退

2010年には議員任期限りでの引退を表明し、2012年の衆議院解散をもって、政界を引退しました。2013年には桐花大綬章受章を受賞。そして2017年8月28日、老衰のため82歳で死去しました。

羽田孜氏は温厚な人柄で金丸信氏からは「平時の羽田」と称されていました。また、オイルショック時の省エネルックである半袖ジャケットの着用でも知られていました。

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